二代目・松久正光は川水を利用して冬期間、凍豆腐の製造を約15年間続けていましたが、昭和28年に町内に近代的な工場が出来たのを機に製造をやめてしまいます。
その後、農業のかたわら年間を通じて出来る副業はないものかと、昭和22年・大正サケ・マスふ化場からニジマスの卵4,000粒を購入。試験飼育してみたところ、好成績を得ることが出来ました。
同33年頃は全道的に養魚業が盛んになり、道立水産ふ化場から5万粒の卵を導入し、完全な副業化へのスタートを切りました。
しかし、流通ルートが見出せず、自分のところで魚を買ってもらうしかないと釣堀を始めました。
昭和36年、帯広で食堂を経営している横山という人が釣りに来て、
「こんなに大きく立派な住宅を空き家同然にしておくのはもったいない。私が料理の指導をしてあげるよ。」と
すすめられ、それまで夢にも考えなかった飲食業を始め、現在に至っています。 |